ルワンダの歴史
ど~も!えみゅ~です。
今回はちょっとシリアスなお話。
ルワンダにいると
どうしても考えなきゃいけないのが,
ジェノサイド(大量虐殺)の話。
普段,このジェノサイドの話は,
「ルワンダ人の前では
むやみにしてはいけない」,
ということになっていますが,
今,ちょうど
ジェノサイドウィーク中(4/7~4/13)なので,
触れてみたいと思います。
ジェノサイドとは・・・
1994年4月にルワンダ国内で起こった
大量虐殺のことです。
1994年4月7日~の約100日間で
およそ100万人の方が
亡くなったと言われています。
1日に1万人と考えると,
かなりの数だということが想像できます。
そもそも,何故この争いが起きたのか。
話は第1次世界大戦後までさかのぼります。
植民地時代
第1次世界大戦後,
ルワンダはベルギーの植民地でした。
ベルギーは統治をしやすくするために,
もともと一つであったルワンダ民族を
体の特徴によって,二つに分け,
少数派であったツチ族を優遇しました。
しかし,1950年代半ばから,
アフリカの独立運動が激しくなってくると,
強く独立を求めるツチ族ではなく,
フツ族を優遇するようになりました。
1962年にベルギーから独立した後も,
そしてジェノサイドへ
そして,1994年4月6日に
フツ族のハビヤリマナ大統領が乗った飛行機が
何者かによって撃墜され,
ハビヤリマナ大統領が亡くなったことが
きっかけとなり,
ジェノサイドが発生しました。
過激派フツ族により,
1994年4月~6月の約100日間に,
およそ100万人の方が
殺害されたと言われています。
終結
1994年7月にルワンダ愛国戦線が
制圧し,ジェノサイドは終結しました。
この時,ルワンダ愛国戦線の司令官であったカガメさんが
今のルワンダの大統領です。
そのため,カガメ大統領はルワンダでは
絶大な人気を誇っています。
カガメさんが大統領になって,18年。
他のアフリカの国では,
大統領選によって暴動が起きたりしていますが,
ルワンダはジェノサイド以降,
大きな暴動は起きていません。
独裁者,と言われることもあるみたいですが,
今のルワンダの平和は,
カガメさんの力によるところも大きいのでは,
と思います。
現在
このような歴史的背景から,
ルワンダでは4/7~4/13までを
ジェノサイドウィークとし,
各地で様々な式典等が行われています。
(4月以降の3ヶ月間は,
各地で式典が行われるようです。)
この間,仕事も午前中のみの所が多いようです。
(WASAC検査所は午後2時まで仕事)
午後は,会社主催や郡庁主催の式典に参加するみたいです。
WASACも午後3時から式典を開いていました。
(実際に始まったのは午後3時半~。
終わったのは午後5時半。)
参加させてもらいましたが,
(全てキニアルワンダ語だったので,雰囲気だけ)
日本でいう「喪に服す」という感じではなく,
平和について考える,といった感じで,
笑いもありつつの,終始和やかな雰囲気での式典でした。
この式典の雰囲気は場所によりけりなので,
これは,ほんの一例です。
このジェノサイドがあったのが24年前。
ほんとについ最近のことだと思います。
3月末にキガリの
ジェノサイドミュージアムへ行きましたが,
殺し方,ラジオでの虐殺のあおり方,など
言葉にするのは難しいですが,
本当に酷いものばかりでした。
これが本当に自分が生きている間に
起こったこととは信じられないくらいでした。
ある日突然,隣人が殺しに来たら・・・
考えるだけで,恐怖です。
隣人で殺し合っていた事実を乗り越え,
現在同じ土地で平和に暮らしているルワンダ人は
心が強いなと思いました。
ルワンダに3ヶ月住んでみて,
特に虐殺の名残りみたいなものは感じません。
むしろ日本と同じぐらい安全で平和。
たまに日本にいるかと思うぐらい (*^^*)
でもきっと,まだ知らないルワンダがあると思います。
この歴史を踏まえて,
ルワンダと向き合っていこうと思います。